私たち日本人が、「ポルトガル」と聞いてすぐに連想するのは、
あのサッカー界のスーパースターでしょうか? 音楽に興味がある方なら、「ファド」でしょうか?
ポルトガルの隣国であるスペインと比べると、実はポルトガルについてはあまり知られていないようです。
そんなポルトガルですが、歴史的にも日本との関わりが深いのです。
ここでは、日本とポルトガルの歴史をさかのぼりながら、ポルトガルという国をご紹介しましょう。
まずは、基本情報から。
正式名称は、「ポルトガル共和国」です。国名の由来は、ポルトの古い呼び名である「ポルトゥス・カレ」がなまったと言われています。
日本の4分の1程度の国土に、1000万人が生活していますが、そのほとんどがカトリック教徒です。
スペインと大西洋に囲まれ、ヨーロッパ諸国のなかでもっとも西に位置している国です。
ポルトガル国旗に込められている思い
国旗には、その国々の歩みや想いが形になっています。ポルトガルの国旗にはどのような由来があるのでしょうか。
緑は、誠実と希望を表すとともに勇敢なアビス騎士団の色で、赤は、新世界発見のため大海原に乗り出した勇敢なポルトガル人の血を表しています。
紋章は、天測儀で航海術と航路の発見を、盾の中の7つの城は他民族から奪い返した城を、青い5つの盾はポルトガルの王を表しています。
色と紋章とも共通して「勇敢さ」を表しており、様々な民族から侵略されては奪還したという歴史を物語っています。
ちなみに、緑と赤のバランスは、2:3の割合で配色されていますが、実はこのオフィシャルサイトのトップページのレイアウトも、この「2:3」のバランスでデザインされています。
ポルトガルの歴史を覗いてみると・・・
ポルトガルの歴史を語る上で、最も重要なのは、15世紀にはじまる大航海時代です。イスラム人から領土奪還したポルトガル王国は、アフリカ、インド、ブラジルを経て、ついに東アジアへも到達し、大航海時代のパイオニアとして世界の頂点に君臨しました。ポルトガルは、ヨーロッパ諸国の中で最も早くアジアと接点をもち、アジアから調達した香料貿易でさらに勢力を拡大していきました。
やがて日本とポルトガルは「南蛮貿易」を開始し、織田信長や豊臣秀吉らと交流を図りました。この時期に空前の南蛮ブームが起き、食料(詳しくはポルトガルの食文化も見てみてください)や、南蛮ファッション(カルサンと呼ばれる袴や下着の1種であるじゅばんなど)が巷に溢れました。この時代にも海外トレンド志向があったんですね。
一方で、南蛮貿易で私腹を肥やす大名やキリシタン大名の出現によって国内が乱れはじめます。これを見かねた江戸幕府は海外貿易とキリスト教を制限する鎖国を行いました。ポルトガルは、鎖国政策下でも当初は例外的に日本との貿易が許されていましたが、やがてそれも禁止されます。
その後、ポルトガル王国は、イギリスやスペイン、オランダとの植民地争いにより縮小していきました。
現在のポルトガルは、NATO、国連、EUに加盟しています。財政再建という目下の課題はあるものの、欧州委員長に自国民を輩出するなど独自の存在感を示しています。
2010年には、日本・ポルトガル修好150周年を迎えました。日本とポルトガルは、一時、江戸幕府時代の鎖国により交流が途絶えましたが、およそ470年の間、友好を深めています。
種子島の鉄砲・サビエルの布教活動に始まったポルトガルとの交流によって、日本には多くのトレンドや食文化が生まれました。そして、今やポルトガルとの結びつきは切っても切り離すことができない程に親しいものになっています。
クチポールのカトラリーがこれほどまでに日本の食卓を華やかに彩ることになろうとは、かのザビエルも想像だにしていなかったでしょうね。